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ANITYロゴ/希望の星が輝く

2000年4月 アミティ日本招へい企画/最終報告

− 目 次 −
・代表よりご挨拶 ・全国での催しご紹介 ・会計報告
・各地の実行委員会からの声 ・お便りのご紹介 ・宇都宮での講演記録

◆4月10日 宇都宮での講演記録

 ナヤさん、ベティさんは、各地でそれぞれユニークな講演を行いました。この報告書には、そのなかの宇都宮での記録を掲載いたします。
※4月3日の京都での講演はビデオに記録しています。ご希望の方には4,000円でお譲りします。詳しくは、こちらをご参照ください。

自らを語るNaya Arviter(ナヤ・アービター)

◇ナヤ(秘密だらけの家庭)◇
 私は、10代の頃から様々な問題を抱えていました。「シナノン」という名の最初の治療共同体(Therapeutic Community)を訪れたのが18歳の時。以来、治療共同体のつきあいは30年になります。17歳の時には、メキシコ、アメリカ国境を行き交う麻薬の密売人でした。ギャングの一員として、ヘロインやマリファナの売買を行っていました。メキシコで捕まった時には、1トンものマリファナが建物から発見されるほど、大量の麻薬を扱っていたのです。
 その事件はアメリカでも大きく報道されました。祖母が裁判官に大金を積み、メキシコの刑務所からは数週間で釈放。アメリカに帰国するやいなや、FBIに逮捕され、成人用の刑務所に拘禁されました。腰に鉄の鎖を巻き付けられ、刑務所の職員からは、「人間のクズ」呼ばわりしました。そして5年の懲役が課せられましたが、以前、どこかで読んだことのあるシナノンに行ってみたいと希望し、当時の保護監察官の取りはからいで、刑務所を出ることができたのです。
 あの頃の仲間達の多くが死にました。いまだに刑務所生活をしている人もいます。私もあの頃シナノンで生活していなければ、今こうして皆さんの前でお話することもなかったでしょう。(笑)
 薬物に走るまでにはいろいろありました。実の父親から性的虐待を受けたり、崖淵ギリギリを車で走らされたり、身体を逆さまに吊るされたり、と恐怖心を植え付けられるような目にあっていました。母親も父親から日々すさまじい暴力を振るわれていました。両親は離婚しましたが、すぐに母親は高名な大学教授と再婚。それまでの家庭生活には完全にフタをしようとしました。全てをなかったことに、秘密にしようとしたのです。そのなかで私は、目に見えないものに苦しまされ、家出を繰り返すようになります。そしてマリファナ、覚せい剤、ヘロイン、と薬物を濫用するようになっていったのです。
 シナノンは私にとっては衝撃でした。様々な問題を抱える人々と語り合い、様々な役割を担ったりするなかで、私を新しい人生へと導いてくれたのが、社会では「凶悪犯」という烙印を押された人々でした。
 残念なことに、シナノンは次第に様相を変え、商業的になってゆきました。しかし、社会から拒絶され、行き場のない人々のために働きたい、という気持ちは変わらず、シナノンを去り、別の団体を作ることにしたのです。それがアミティです。

Bette Fleishman(ベティ・フレイズマン)

◇ベティー(ポルノに囲まれて)◇
 私も16歳の時にシナノンに加わりました。
 私は幼い頃からたくさんのポルノに囲まれて生活していましたが、そのことによってすさまじい影響を受けました。父は、アメリカ合衆国憲法修正第1条を擁護する有名な弁護士で、プレイボーイ、ハスラーといったハードコアポルノ雑誌や過激なポルノ映画の擁護をしていたのです。普通の家庭では、皿を洗ったり、床をふくことを、子どもに「お手伝い」としてさせるのだと思いますが、私たちにとっては、ポルノ雑誌の区分けをするのが「お手伝い」でした。オーラルセックス、動物とのセックス、その他の乱交など、セックスの種類によって雑誌を分けるのです。
 また、父の顧客(性産業に働く人々)がよく家に食事にきましたが、その時の話題もセックスについてでした。それは、愛情のかけらも感じられない性行為についてで、いかに男性が女性をコントロールするか、お金をどのようにもうけるか、ということでした。10代になると、性産業でアルバイトをすることを父からすすめられました。彼は、そういうことが良い社会経験になると信じていたようでした。
 私は次第に学校をさぼるようになり、マリファナや覚せい剤に手を出し、警察に補導されるようになります。親はそんな私に腹を立てるだけでした。
 その頃、知り合いからシナノンを紹介されたのです。荒れた生活をしている私を見て、誘ってくれたのです。当時のシナノンには何千人もの人が参加していました。薬物やアルコール依存の人たちが様々なプログラムに顔を出していました。必ずしもそこに住む必要はなく、グループに参加したり、社会を変革するための社会運動的なものでした。
 そのなかで、性産業の女性たちにも出会いました。そして、彼女達がとても屈辱的で辛い目にあっていたということを聞きました。私がかつてポルノに対して恥ずかしいと思ったり、嫌悪感を抱いたりしたのは当然であったんだと、はじめて確認することができました。
 一年間ほど、週末に開かれるワークショップなどに参加した後、薬物依存者の子ども達のプログラムにスタッフとしてかかわるようになりました。この仕事を10年ほど続けましたが、結局シナノンは金儲け主義に走り、私のなかでは、違和感が募ってゆきました。1980年、ナヤと彼女の夫のロッドと私の三人で、シナノンを出たのです。

宇都宮での講演

◇ナヤ(コミュニティーとハビリテーション)◇
 シナノンやアミティの活動を通して私たちがやってきたことは、社会から拒絶されてきた人たちを受け入れること。売春や犯罪や薬物に走った人たちというのは、ある種、そうせざるをえないような劣悪な環境にいたわけです。リハビリというのは、もといた場所に戻ることを意味します。売春や麻薬をやっていた人が、元の場所に戻るということは、再び問題行動を繰り返すことになってしまいます。たとえば自傷に走る人、暴力を振るう人は、自分が生まれ育ったコミュニティで、そういう生き方を学んできてしまったわけです。ですから、彼らは、リハビリテーション(Rehabilitation)ではなく、ハビリテーション(Habilitation)が必要な人たちです。ゼロからの出発が必要なのです。
 皆さん、自分にとって、理想とする家庭を想像してみてください。
 希望(明日、良いことがあると思わせてくれること。その希望が家族の全員に行き渡ること)、ユーモア(愛情があれば笑い声で満ちているでしょう)、人間関係、誇り、という4つの要素が不可欠ではないでしょうか。その他にもたくさん要素はあると思いますが、私たちは、その要素をいくつか選び、シナノンでの経験をプラスしたものを「コミュニティー」と呼びます。1〜2年の共同生活を経て、互いに助け合っていくなかで、自分も相手も互いに助け合うことを学ぶ。皆で協力しながら生活し、学びあうことによってコミュニティを作ってゆくのです。
 コミュニティには、いろいろなタイプがあります。伝統的なもの、宗教をベースにしたもの、会社、危機を体験してのコミュニティもあります。たとえば危機的な状況や、自然災害という予測されないものがきて、それまでつながりの無かった人たちのコミュニィティができることもあります。目的を達成するためのものもあります。
 コミュニティと組織とは違うと思います。組織は、基本的に、上下関係によって成り立っているヒエラルキー。治療共同体的なコミュニティーでは、組織の側面もありますが、何よりも、コミュニケーションが不可欠です。
 コミュニティを成功させるためには、自分自身の成長が必要です。心理的なダイナミズムが不可欠です。
犯罪者の多くは、自らの行為に反省するのではなく、むしろ、逮捕されたことを悔やむ傾向があります。自殺傾向のある人は、自殺が他人にも影響を与える視点が抜け落ちてしまいがちです。このような人たちの傾向を変える、つまり道徳的に発達することが重要なのです。そしてこれは、誰にでも可能だと信じています。

 これらは、治療共同体としての基本的な条件の例です。
 ◆観衆ではなく、参加者になる
 ◆様々な役割を担う
 ◆排除するのではなく、受け入れる
 ◆制度や「プログラム」よりも、語りやすい安全な場所を作る
 ◆スタッフからの慰めよりも参加者同士の関係を大切にする
 ◆治療よりも学ぶこと
 ◆症状にとらわれず、一人の人間として全体をとらえる
 ◆感情に振り回されるのでなく、自分の感情を使いこなす能力を身に付ける

 犯罪の加害者について言えば、人から「奪う」ことから、人に「与える」に変わっていくことが必要。また逆に、被害者となってしまった人は、人から何かをもらっても良いのだ、助けてもらってもいいのだ、ということを知る必要があります。

◇ナヤ(アリス・ミラーのパラダイムとエモーショナル・リテラシー)◇
 スイスの精神分析医アリスミラーは、つぎのようなパラダイムを、著作『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(新曜社 山下公子訳)のなかで展開しています。
 ◆小さな子どものときに傷つけられたが、そのことを誰にも知られていない
 ◆そうした被害を受けたことに対して怒りをぶつけることができなかった
 ◆傷つけられたことが相手の善意によるものだとして、むしろ感謝で応えようとしてしまう
 ◆すべてを忘れてしまう
 ◆大人になってから、内にためた怒りを他人や自分自身に向けて吐き出してしまう

 つまり、子どものころに痛みを体験した人は痛みを体内にため込みがちです。犯罪や嗜癖は、毒素をためこんでしまった結果だといえるでしょう。しかし、その分析で終わってしまっている点がアリスミラーの限界といえるでしょう。
 アミティでは、体の中にたまった毒素を解毒してゆく試みを行います。感情の発散の仕方を学ぶのです。自分の体験を語る、という方法によってです。その時、まず、自らの体験に名前をつけることが大切です。そうでなければ体験を表現し、うったえることができないからです。苦しい体験を背中に背負ったまま、どんどんその荷が重くなって自分自身が押しつぶされてしまう、ということになります。
 アミティでは、エモーショナル・リテラシー(Emotional Literacy)に重点を置いています。エモーショナル・リテラシーとは、感情、情緒をそのままあるがまま受け止めて、言葉で表現する力のこと。私たちは、自分たちの感情をよりよく表現するための語彙を増やして行く必要があります。
 そのなかで、鍵を握っているのが、共感するという感情です。相手に気持ちを寄せることで、自分も変わっていくきっかけが生まれるからです。

◇ベティ(アミティと女性)◇
 アミティに来る多くの女性がレイプの被害者です。61%が、初めての性体験はレイプ、と答えています。そのほとんどがレイプを届け出ていません。警察に行くのが恐いからです。特に2度目以降のレイプは、届けない傾向が強いのです。最初に警察でひどい扱いを受け、イヤな思いをしているからです。また、アミティに来る女性の69パーセントの女性が身体的な、または性的な暴力の被害者です。
 こういう体験をした女性から話を聞くために、女性のみを対象としたワークショップで、女性だけの話をすることもあります。性産業で働く女性のためのワークショップもあります。レイプをテーマにしたものもあります。レイプを受けたのは何十年も前なのに、その体験に支配され、その時の感情にしがみついている人もいるわけです。そういった場合には、レイプ体験からディ・ローリング(De-Roling)、役割を捨てる、その状態から抜け出す、というプログラムを行います。
 アミティでは、管理職に女性スタッフが数多くいます。ジェンダーの障壁を取り除くために何をすればいいのかという問題にずっと取り組んできた結果だといえるでしょう。例えばシングルマザーにとって、子どもを育てる支援体制は不可欠です。そういった点をアミティは考慮し、子どもと一緒に生活できるシステムにしました。最初は男性中心だったので、なかなかこの問題を理解してもらえませんでした。

◇ベティ(アミティと青少年プログラム)◇
 アミティが最初の頃に力を入れていたのは少年でした。というのも最初に助けを求めてきたのが、18才未満の少年だったからです。現在アミティでは刑務所内でもプログラムをおこなっていますが、そのスタッフのなかに、かつて17才で薬物に依存し、自殺傾向が強く、アミティの青少年プログラムを卒業した人がいます。
 もう一人の少年は、強盗で、48年間刑務所に拘束される可能性がありました。しかし、アミティを体験することによって、刑を免れ、今では環境を守る弁護士として成功しています。このように早い時点でアミティを体験し、社会で活躍している人が多く存在します。
 私たちは、以前、矯正局青少年課と提携していました。1983年頃の矯正局は、新しい試みを模索していましたので、積極的でした。250名の少年少女を対象にしていた頃もありました。有能な弁護士をつけて、刑務所の代わりにアミティに行かせるという選択を与えたりもしました。ほとんどの子がギャングの影響を受け、車に乗って銃で打ち合うということに関わっていた子どもたちでした。少年院のなかに、アミティ専用の建物を与えられたりもしました。そして矯正局による調査の結果、アミティを体験すると再犯率が劇的に下がることもわかりました。
 そのような子どもの親の多くも刑務所に入っていました。そして、子どもがアミティを通して更生し、これを見た親がその後アミティに来て更生するということさえあったのです。
 しかし、90年代前半に、アリゾナ州で法改正があり、アミティのプログラムのいくつかが閉鎖されてしまいました。厳罰化の流れです。非行少年の多くが、成人用の刑務所に移送されました。成人用の刑務所では、大人と隔離されて独房の中に入れられ、何のケアも受けられずに放置される、ということが起こりました。
 ここ数年、子どもが大人の刑務所の送られてしまうという傾向はさらに厳しくなり、子ども用の「三振法」(3回犯罪で捕まると大人の刑務所に入れられてしまう)までが立法化してしまいました。
 私は、子どものころ、2回逮捕されました。1回目は、深夜徘徊禁止法で逮捕(この法律はすでに廃止)。16歳の時でした。もう一つは万引き。あともう一回何か違法行為をやれば、成人用の刑務所に送られていたことになります。こうした少年への厳罰化が、青少年のためのプログラムを奪い、やり直すチャンスを奪ってきています。
 アリゾナ州では、もう一つ厳しい法改正がありました。犯罪を犯すと、子どもに関わる仕事は一切できないという法律です。これによって、アミティで働けなくなったというスタッフがいます。治療共同体では、リカバリー者の参加が大きな役割をになっていますが、この改正によってリカバリー者が職を奪われる、ということが起こったわけです。
 そこで、青少年のプログラムを完全閉鎖せざるを得なくなりました。実に残念なことです。

◇ナヤ(更生=人が変わること)◇
 今、アメリカは経済的に潤っていますが、受刑者は増える一方。なんと200万人の受刑者が存在します。これは、長期に渡る厳罰化政策の結果です。そして、刑務所に入所するとさらに凶暴になる、という困った事態になっています。
 青少年プログラムが閉鎖された時、私たちは、一番凶悪な受刑者を変えてやろうじゃないかという風に考えました。彼らを変えることができれば、国の政策も変わる可能性があるとみたからです。
 まず、5000人の受刑者がいる刑務所で、200人の凶悪な受刑者を対象にしました。調査の結果、1人につき321回の終身刑相当の犯罪的行為を犯していることがわかりました。この数には、かならずしも事件として立件していない事犯も含まれています。また、彼らのほとんどが少年院に送られていたにもかかわらず、適切なケアを受けられずにここまできてしまったのです。
 アミティのプログラムを終えて3年後の再犯率は27%。それ以外の受刑者は、70%という高い再犯率です。刑務所に入れて隔離すれば、確かにその期間、公的な安全を確保できるでしょう。しかし、この間、何も施さなければ、釈放後、また過ちを繰り返してしまうのです。治療的(Therapeutic)な環境を整えれば、受刑者は変わることができ、その結果、再犯を防げるはずです。これは、長期的な社会の安全につながります。
 司法省は、治療的処遇を刑務所内で増やしていくという方向にあり、もう一度青少年にもこのようなプログラムを復帰させようという動きがあります。現在、ニューメキシコで州のアミティでは、青少年向けのプログラムの復帰に向けて準備を進めています。
 私たちは、長年ギャングの問題を知りながら無視してきました。青少年に対してどんどん厳しくなる法律に対して反対の声をあげてきませんでした。また、子どもが学校に行かなくなるということにも目を向けませんでした。
 今ようやくアメリカでは、学校や社会の様々な場で安全なコミュニティを作ろうという動きが始まっています。もちろん、それで、銃で撃たれて亡くなった人が戻ってくるわけではありません。全ての犯罪被害者と加害者との間で和解を果たせるわけでもありません。しかし、取り返しのつかない状況であっても、他の方法で社会に貢献することはできると思います。自らの体験を生かして、犯罪の予防を促すこともできるでしょう。
 最後に、日本の皆さんが、私たちの失敗から学んでくださることを願っています。ありがとうございました。

◇質疑応答◇

質問1 時間と根気がいると思うが、それをどのように乗り越えていったのか。

【 ナヤ 】私自身、どん底の十代から変化してきたので、「生き証人」といえるのではないでしょうか。誰にでも春は来ると確信しています。どんな過ちを犯したとしても、できることをやっていくしかないと思っています。それには、様々な機関と連携していくこと。たとえば、学校の教師や保護監察官との連携、弁護士と保護監察官の連携、弁護士と刑務所職員との連携など、連携によって新しいコミュニティが形成されていくはずです。

【 ベティ 】力を入れた対象者がうまくいかなったり、自殺したときは落ち込みます。しかし、落ち込んだままにならないように、スタッフ同士で意識的に話しあう機会を作り、支え合います。コミュニティを作るとき、互いを理解したり、話し合うことは不可欠です。互いの誕生日やハッピーな出来事を祝ったり、それぞれの人に起こっている問題を話し合い、体験を共有する。徹底的に話し合うことで、自分に起っていることが他の人にも共有され、負担を軽減させられる。それによって前へ進んでゆけるのだと思います。決してシニカルにならない、ということをいつも心に止めています。

質問2 被害者にとっては、加害者が大人でも少年でも変わりないという世論がおこっている。アリゾナでもそのような流れであろう、非常にショッキングである。このような論調にたいしてどのように説得すればよいか悩んでいる。

【 ナヤ 】私たちは、NGOの立場で公務員などと連携してきました。互いに情報を交換する関係をまず結びました。子どもは深刻な犯罪を犯す前にサインを送ってきますが、私たちは敏感にこれを感じることができないことが多いのです。というのも、子ども達との接触が少ないからです。アメリカでは、完璧な家族と見えても、子どもが親や、大人と過ごす時間は極めて少ないので、大人と子どもの時間を提供する場所が必要だと思います。日本社会にはまだ希望があります。アメリカほど厳罰化は進んでおらず、打つ手はまだたくさんあるはずです。

質問3 日本では、近隣のつきあいが親密で、そのことが犯罪者の自立を求めるときには、壁となることもあるように思える。この日本的なものが犯罪防止に役だつのか。どのような支援体制が必要なのか。

【 ナヤ 】 アメリカの家庭内暴力事情は深刻です。傷ついた動物のシェルターの方が、傷ついた女性のシェルターよりも数が多く、整っているという哀しい状況です。そして、麻薬を使っている女性は、DVのシェルターからは拒否されます。結局薬物の施設に送られますが、ここも追い出される。なぜなら、夫が追いかけてくるからです。その結果、自殺してしまうケースも多いのです。そのような状況のなかでは、すでに存在している機関が連携しあうことが大切だと思います。
 もう一つは、そうした体験をもっている人が、自らの体験を他人に語ること。そのことによって、他の人が前に出てくる可能性が生まれます。こうした被害者は、子どもと共に、安全な場所でのケアが必要ですから、公的に語ることによって、援助の必要性を社会に認識させることができます。
 罰を与えるだけでは問題解決につながらないのです。例えば、昔母から暴力を受けた男性が、妻に暴力を振るう。母から息子へ、息子から妻へ、妻から子へと受けつがれるわけです。加害者の男性を罰したととしても、このサイクルは断ち切れない。罰するなと言っているのではありません。罰するだけでは駄目だということ。被害者である女性、加害者である男性、DVの環境下に暮らす子どもは、全てケアを受ける必要があると言いたいのです。
 ある時グループで、15才の少女に、人生最悪の体験は何だったかと質問しました。彼女は「ママの唇が壁に落ちた」と言ったので、皆笑いころげました。彼女の言わんとすることを、最初は誰も理解することができなかったからです。時間をかけて話を聞くなかで、すさまじい虐待体験が浮かび上がりました。
 彼女が幼い頃、化粧をしている母親の元に突然ボーイフレンドがやってきて、母の髪を後ろからひっつかみ、顔を思いっきり壁に叩きつけたんです。その時、母の真っ赤な口紅の跡が、くっきりと壁についた。「唇が壁に落ちた」というのはその記憶だったんです。彼女はその記憶から、徐々に虐待体験を語り始めました。大人が考えるよりも、子どもは大人の暴力をよく見ています。しっかりと感じています。
 私も昔、父が母の肘をフライパンで殴っているのをみたことがあります。そのことを母に問うても、「そんなことありえない。あんたは頭がおかしいのよ」と否定され続けました。それで、私は自分の記憶が信じられなくなり、どのように感じてよいのかわからなくなりました。
 被害者自身が何故否定するか、といえば、被害を受けていること自体が恥と感じられるからです。私の母親も、夫から暴力を振るわれていたことを恥ずかしく思っていたのです。私が成人してから母親はそのことを認めました。
 DVによって影響をうけているのは、子どもでもあります。子どもへのケアも不可欠です。見落とされている被害者へのケアもまだまだあるはずです。

質問4 犯罪者自身の更生の動機付けは何か。更生の意欲のない犯罪者にどのように働きかけるのか。犯罪者に伝えたいコアなメッセージは何か。

【 ナヤ 】 変わる意思を持っていない人を変えるのは、私たちにとっても大きな挑戦です。まず、その人にとって何が最も大切なものかを探し出します。監視の厳しい刑務所のプログラムでは、昔は男性受刑者同士が喧嘩し、派閥争いをしているような状態でした。私はそこに飛び込んで行って、何が気に入らないのかと聞きました。彼らは、随分長い話をしてくれました。私は、「そりゃそうだね、仲良くはなれないよね」と納得しました。
 続いて私は「私たちにチャンスをくれない?何か皆で合意できることを探しましょう」ともちかけました。ほとんどの受刑者には子どもがいたので、「自分の息子と刑務所で一緒に服役したい人は?」と聞いたら、誰も手を挙げませんでした。子どもたちは彼らにとって大切な存在であることがわかりました。
 そして、各派閥の人の子どもたちに一人一人、アミティがクリスマスのプレゼントを配って歩きました。その後、彼らは私たちの言うことを聞いてくれるようになりました。彼らからは、そのような行動は意外であり、本来の仕事の範囲を越えたボランティアの部分であることを知っていたから、感動したんだと思います。本来の仕事以外のことを、彼らのためにやったから、信頼してくれたのです。
 なかには、「俺なんかかんけいねえよ」と強がる受刑者もいます。そんな時、殺人者に対しては、「あんたの殺した人は戻ってこないのよ、あんたどうするつもりなの?」と問いかけます。「刑務所にいても社会に貢献できない。虐待の被害者だったということで、人を傷つけたり、殺したりすることを正当化してはならない。でも、実際行ってしまったわけだから、何かを社会に還元する必要がある」と語りかけるんです。そして、「たとえば犯罪者になる可能性のある少年を助けるのはどう?そのためには、今ここから自分を変える必要があるでしょう」と促します。
 もちろん、償いは、心からのものでなければなりません。和解は可能な場合と、不可能な場合があります。直接の被害者と和解できなくても、他の被害者と和解する途がありうるのではないかと考えています。

質問5 アミティはすでに日本で組織されているのか。

【 ベティ 】 治療共同体の対象者は、犯罪者だけでなく、広範囲です。5年前、アミティのワークショップを撮影した番組制作者の坂上香さんに出会った時、彼女が、その時、日本にも同じような問題が隠れていると言ったことを覚えています。そして昨年、日本に来てくださいと彼女は電話をくれました。そして私はここに来たわけです。
 この10日間、数多くのプログラムをこなしてきました。土曜日には仙台でワークショップも開きました。浪速少年院を訪れたり、様々な団体とも交流ができました。CAPやフリースクール関係者など、子どもたちの問題、いじめ問題に取り組む人たちとも巡り会えました。実に様々な職種、背景をもった人が関心を寄せてくれていることに私もナヤも驚いています。
 アミティは日本にあるのか、という質問ですが、答はノーです。しかし、今回の訪問が最初のステップとなり、今後何らかの形で、継続的な関係を持っていければと願っています。そこからきっと、何か新しいものが生まれるはずです。

(記録 草場裕之・坂上香)
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